理事長の〝ちゃべちゃべ〟 日記  〜その1〜

元ちゃんハウス日記
がんとむきあえなかった自分がいた

メールマガジンを始めます。理事長として、あるいは西村詠子個人としてのがんとむきあう気持ちや、夫が闘病中皆さんに伝えたかったことなどを代わりに書き留めて行けたらいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。

私ががんとむきあった最初の記憶は、金沢大学附属病院に勤めた、新入の看護師の時だと思います。まだ建て替え前の古い病院です。3病棟6階、放射線科病棟に配属になりました。血管造影の検査の方もいましたが、多くは放射線治療をしている方、そして長くいる方はがん終末期の方でした。

あの当時はがんを告知しない時代でした。私はこの病棟に3年、そして外科病棟で2年勤務して、その時に夫と出会い結婚退職して、夫が病気になるまではずっと普通の専業主婦でした。

看護から離れすっかり忘れてしまっていますが、今でもずっと忘れないで思い出す光景が3つあります。1つは消灯後、点滴の棒を引いて、エレベーターの前のソファに座っている肺がんの末期の男性の患者さん、ふたつ目は、乳がんで肺や骨に転移があったのだと思うのですが、あおむけになると苦しいので、ずっと座位で、オーバーテーブルにうつぶせになっていた女性の方。3つ目は両側に尿路ストーマを作った方で、薄暗い廊下を2つの尿の貯まった袋を下げて歩いている男性の後ろ姿です。その3人の姿が目に浮かびます。

病名も説明されず、きっと今ほど緩和ケアも出来ていないあの時、どんな気持ちで入院されていたのでしょう。沢山の言葉を飲み込んで我慢していたのだと思います。もしかしてたくさんの事をわかっていて、こちらへの配慮で聞かなかったのかもしれません。孤立させていたのかもしれません。

若い私は大きく戸惑い、どんな言葉を掛ければいいのかわからなかったのだと思います。何もできない申し訳なさを感じ、逃げ腰で、ただうわべの声がけをしていたのかもしれません。ずっと忘れないのはその反省なのかもしれません。

今なら何か出来るでしょうか。今もできないかもしれません。でも今は逃げ腰ではないです。傍にいさせてもらいます。そしてどうすればいいかをずっと自分に問いて行きたいと思います。それが私のがんとのむきあい方だと思います。 

(2023年4月6日)

元ちゃんハウス西村詠子理事長

元ちゃんハウス 理事長
西村詠子

コメント

  1. 辻 千芽 より:

    素敵なメルマガを送っていいただき、ありがとうございます。私も看護師として臨床で一生懸命働いてきたつもりですが、ちゃんと患者さんと向き合えてなかったなと反省する日々です。というのも、管理室で病棟の様子を耳にするたびに、自分だったらどうするかを考えさせられる立場になったからです。話を聞いていると、実体験がよみがえってきて、その時の看護師である自分ではなく、患者さん側の立場になって、客観的に想像している自分がいるのです。私も腰を据えて、報告をしてくれた看護師長と一緒にどうしたらよいか考えることができるようになっています。時間や距離を少し置くと見えてくるものがあります。西村さんの気持ち、少しわかるような気がします。

    • 西村詠子 より:

      辻様、コメントありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいです。一緒に考えてくれる素晴らしい管理者だと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。

  2. 森田 賀代子 より:

     新年度のばたばたが始まって1週間。憂鬱な気分で仕事のパソコンメールを読もうとしたところ、ちゃべちゃべ日記なるものが…元ちゃんハウスとあったので迷惑メールボックスに入れず、さっそく拝見しました。コロナ禍で全く「ハウス」にはお邪魔していませんが、紙ベースのお便り(これが貴重で嬉しいです)を拝見しては「また伺いたいな」と思っていました。私自身はまだ(?)がんの診断は受けていませんが、親しい友人が乳癌のため仕事を辞めたこともあり、全く人ごとではなくちゃんと向き合いたいなと思っています。
     私は県外出身者で大学から金沢に来たのですが、この「ちゃべちゃべ」という言葉、大好きです。「もうっ!ほんっとに、ちゃべちゃべと!」と言われながらも人に対して温かく優しい人に使われる言葉と理解していますが…合ってますよね?ちゃべちゃべ日記、楽しみにしています!

    • 西村詠子 より:

      森田様、コメントありがとうございます。ちゃべちゃべの意味のご理解有難うございます。合っています。ちょっとお節介な前のめりな感じです。押し付けで無いように気をつけます(笑)。お忙しい事と存じますが是非また、元ちゃんハウスへお越しください。