先週の6月26日、27日は「京都東本願寺ビハーラネットワーク奉仕団」に講師としてお話をさせていただく機会をいただきました。京都の東本願寺の同朋会館という所で、午後2時から翌日の午後3時半までの1泊2日の合宿に参加してきました。信心の少ない私で良いのかと思いましたが、寛大なお心で迎え入れて頂き、これまでは観光客として訪れていた東本願寺の内側に行ってきました。
ビハーラとは
佛教精神をもとに、人の生老病死に寄り添う活動のことで、具体的には、佛教と医療・看護・介護を融合させる取り組み
だそうです。
そしてこの合宿の目的としては、
今の世は戦争や地震や気候変動などとても残念な状況ですが、だからこそ、それぞれの「人」が、とりわけ「宗教者」がどのような姿勢で「他者に向き合う」のかがいっそう問われる。親鸞が「縁があれば人間は何でもしてしまうのだ」と言われた真意を深く心に留め、今それぞれの場で為すべきことを確かめ合いたいということでした。
その考えのもとに「東本願寺奉仕団」として、―勤行・清掃・礼拝・座談―の時間を共にする中、講師として当会の活動紹介、夫である前理事長の闘病時の思い、元ちゃんハウスの立ち上げ、ACP(人生会議)、死の受け止め方などをお話ししました。
京都タワーが見えるテレビの無い16畳余りの広い部屋に私1人で泊まりました。
その間、阿弥陀堂や御影堂での勤行などで「正信偈」を4回唱え、「真宗宗歌」や「恩徳讃」というありがたい言葉の歌もお勤めのたびに歌いました。ご飯の時は食前、食後の感謝の言葉を言ってみんな揃って食べました。清掃奉仕では一般の方は入れない東本願寺正面の「御影堂門」の上に上り、中を掃除して、改めて京都の街や東本願寺を眺めることができました。
私にとっては非日常の、普段の生活と全く違った時間の中に身を置くというとても貴重な体験でした。
参加される方は住職の方、その傍らビハーラ活動をされている方、他には臨床宗教師としてお仕事されている方、また、一般の方で毎年この合宿に参加されている方などがいらっしゃいました。私は講師の立場ではありましたが、逆にたくさんの有難い教えをいただきました。
根本に「仏の教え」を持っている方の言葉にはぶれない強さを感じました。真の慈悲の気持ちも感じました。この方たちは、関わらなければ明日は生きていけないかもしれないという人たちを助け、精神的にもたくさんの方を救っていらっしゃるのだと思いました。
それに比べて「私のやっている事は浅いなあ、中途半端かもしれない」と思いました。でも迷いながらだけど、私のできることをやっていこうと思える力も貰いました。
人間は100%いつかは死にます。死に向かう事はいろいろなものを失っていくことだと思います。夫も医師としての地位、夫・父親としての役割、最後には身体機能も失われていきました。でもそんな中「自分にとって本当に大切なものがわかった、本当にやりたいことが見つかった」と言っていました。何かを失っていくと言う事は本当に辛くて苦しいことだと思います。それが独りではもっとつらいと思います。私は一緒になって悩んだり、苦しんでいることをわかりたいと思います。そんなふうに寄り添わせていただきたいと思います。
同朋会館の講堂には宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃テーマである
人と生まれたことの意味をたずねていこう
という言葉とその横に
生まれた意義と生きる喜びを見つけよう
と言う言葉が掲げられていました。
(2024年7月4日)
元ちゃんハウス 理事長
西村詠子
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