理事長の〝ちゃべちゃべ〟 日記  〜その11〜

元ちゃんハウス日記
みんな応援しています!

今日でちょうど1か月です。令和6年能登半島地震により被害を受けられた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族さまに心からお悔やみを申し上げます。そして被災地域の一日も早い復興をお祈りいたします。

同じ石川県民として、温かい部屋の中でゆっくりとお風呂に入り水洗トイレを流す度にこの言葉を言うのも聞くのも憚られる思いです。輪島の方では2月末か3月にようやく通水の予定と。自分の家の蛇口から水が出るのはいつになるのでしょうか。

お陰様で元ちゃんハウス自体の活動は全く変わりません。何か困っていることがあればと支援を申し出てくださる方もあり、本当に有難いことでした。

先日の交流会では、病院の看護師さんから金沢のがん診療連携拠点病院としてがん治療が滞ることがないように頑張って対応されていらっしゃるとお聞きしています。

今、能登の方が金沢の方へも避難されています。今のところ被災されたがん患者さんのご相談などはありませんが今後、長い支援が必要になってくると思います。元ちゃんハウスとしてこの状況にどう向き合うのか、そして被災されているがん患者さんやご家族にどう対応することがいいのかと考えます。以前から元ちゃんハウスと繋がって下さっている、東日本大震災を経験されている石巻赤十字病院の鈴木聡先生や震災後に日和山カフェ〜がん体験者と家族の語り合いの場〜を開かれた方にお聞きしてみました。

まさか、同じ地震の被災地の先輩としてのアドバイスを聞く事になろうとは思ってもいない事ですし、まだ傷は癒えてはいないと思いつつ、辛いことを思い出させてしまうのではないかと思いましたが、みなさん、温かくすぐに答えてくださいました。こんな素敵なつながりが本当にありがたいです。大きな力を頂きました。

以下、鈴木聡先生のお言葉です。先生のお許しを頂いてご紹介します。

「今は誰もが自分よりも辛い人を思って、自分のことは二の次なんだろうと思います。だんだん落ち着いてきたとき、自分を振り返るようになったとき、自分の辛さに改めて気づいたとき、前と変わらない場所があること、帰る場所があることはとても心強いと思います。いつもの元ちゃんハウスがいつものようにあること、それがみんなの拠り所になるんじゃないかなと思います。
いつもの人たちといつもの場所で再会するときがきっと来ます。元ちゃんハウスはみんなを再び迎え入れるホームです。そこにあり続けること。変わらないこと。待つこと。このような時も元ちゃんハウスはみんなのよりどころです。」

「東日本大震災の時に仙台にいた人たちは、自分たちも被災者といわれるけれど石巻とは違うし・・という違和感があったと言います。 被災地の中心からの同心円状に濃淡がある感覚。だから遠くなればなるほど当事者意識は薄れてしまうに違いないということを遠くの人たちのほうが気にするようですが、でも離れているからからこそ見えるものがあるのも確かです。心を痛めているということでは遠近はないと思うんです。石巻もそうした外からの視点があって「復興」が続いています。これは「がん」で心身に辛さを負った人々が、元ちゃんハウスで自分とは別の視点に出会って「復興」していくプロセスと同じだと思います」

同じ石川県なのに、のほほんと呑気に過ごしていることが心苦しく、能登と金沢のあまりにも大きな違いに申し訳なさを感じている私に掛けて下さった言葉です。 心を痛めていることでは遠近はないという先生のお言葉に救われました。

また、日和山カフェの方も教えてくれました。

「震災もあってがんにもなってと、気持ちがかなりふさぎこむ方たちもいらっしゃると思いますし、生活が安定するまでは、希望が持ちにくくて、辛い方たちからはマイナスの言葉しか出ないかもしれません。でも話を聞いてくれる方がいることが、場所があることが救いです。すでに元ちゃんハウスがあることが皆さんの力になっていると思います。また、災害時がんの治療中の方には帽子、医療用かつら、補正下着、補正のパッドなど支援でいただいて皆さん、本当に助かりましたとおっしゃっていましたよ。そして、「支援でいらしている医療従事者に今の状況や困っていることなど、気軽にお話してみてください。」とお伝えください。

東日本大震災を経験された方たちも心を寄せてくれています。応援してくださっています。前を向いて確実に歩んで来られています。能登の方もどうぞお力を落とさないでください。元ちゃんハウスはずっとここにあり続けます。いつでもお待ちしています。 少しでもお力になりたいと思っています。

(2024年2月1日)

元ちゃんハウス西村詠子理事長

元ちゃんハウス 理事長
西村詠子

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